法雲寺の詳しいご紹介

山 号:當恵山(とうけいざん)
寺 号:法雲寺(ほううんじ)
宗 派:浄土真宗 本願寺派(本山 西本願寺)
本 尊:阿弥陀如来(あみだにょらい)
住 職:法雲寺第12代住職 辻本純昭


【法雲寺の仏像、画像】

〔本堂に本尊の阿弥陀如来像〕
立ち姿の阿弥陀さまで、よく見ると少し前かがみに立っておられます。衆生に向かって歩み寄るお姿を表していると言われています。
1613年法雲寺建立当時からの阿弥陀様と思われます。


〔脇堂に見返りの阿弥陀如来画像〕
京都東山の永観堂にある見返りの阿弥陀如来を描いたものです。

「真正面からおびただしい人々の心を濃く受けとめても、なお正面にまわれない人びとのことを案じて、横をみかえらずにはいられない阿弥陀仏のみ心」を表わしたものと言われています。


〔庫裏座敷に親鸞聖人画像〕
宗祖親鸞聖人を描いた江戸時代の作品で、聖人の厳しさと慈悲にあふれた優しさを見事に描いた肖像画です。(本願寺第20世廣如上人筆)

11月秋の報恩講(親鸞聖人の恩に報いる法要)前後の期間のみ、庫裏のお座敷の床の間にお飾りしています。庫裏に来られる機会があれば、廣如上人による親鸞聖人画像をぜひご覧ください。

漢詩は聖人の教行信証からの引用です。

 

「慶ばしいかな、心を弘誓の仏地に樹て、念を難思の法海に流す。深く如来の矜哀を知りて、まことに師教の恩厚を仰ぐ。

慶喜いよいよ至り、至孝いよいよ重し。これによりて、真宗の詮を鈔し、浄土の要をひろふ。ただ仏恩の深きことを念うて、

人倫の嘲りを恥ぢず。もしこの書を見聞せんも信順を因とし、疑謗を縁として、信楽を願力に彰し、妙果を安養に顕さんと」

(教行信証 後序)

 

ここに愚禿釈の親鸞、慶ばしいかな、西蕃・月支の聖典、東夏・日域の師釈に、遇ひがたくしていま遇ふことを得たり、聞きがたくしてすでに聞くことを得たり。真宗の教行証を敬信して、ことに如来の恩徳の深きことを知んぬ。ここをもつて聞くところを慶び、獲るところを嘆ずるなりと。

(教行信証 総序)

 



【法雲寺の歴史】

慶長18年(1613年)に辻本又右衛門(つじもとまたうぇもん 本願寺第11代宗主 顕如上人の直弟子となり教順と号す)により創建されました。
本堂は昭和9年に建替え、山門は江戸時代後期の建造になる楼門形式の二階門で、昔は上階に鐘を吊していましたが、第二次世界大戦時に供出し現在に至ります。


【親鸞聖人像】

本堂前の左側に親鸞聖人像があります


(親鸞上人像の由来ご説明)
親鸞聖人御誕生800年・立教開宗750年慶讃法要を記念して、昭和46年(1971年)に篤信のご門徒さんの寄進により建立されました。基石の表面には、「ただ念仏して弥陀にたすけられまいらすべし」という親鸞聖人のお言葉が刻まれています。
法雲寺へお参りの門徒さんは、本堂前で親鸞聖人にお参りし、本堂に入って本尊の阿弥陀如来にお参りされています。


【顕彰碑】

本堂の右側に顕彰碑があります


(顕彰碑の由来ご説明)
江戸時代の文化年間(1810年頃)、本山西本願寺の御影堂修復の時に、摂津十三日講、京都十四日講と共に屋根瓦、木材を上納したとき、法雲寺門徒 山中作右衛門が巨材運搬中に誤って転覆し下敷きとなって一命を落としました。この悲報をいたく嘆ぜられた第十九代宗主 本如上人から法名と香一箱を下附されました。このことを顕彰するため、昭和48年(1973年)、境内に碑が

建立されました。


【法雲寺スポーツ公園】

法雲寺では、昭和56年(1981年)から土地の三分の一をバスケットコートに改良して無料で開放しています。
ご利用案内等、詳細はこちらをご覧ください。